GW 民芸に触れてみよう【益子焼陶器市】

益子焼陶器市は今年で99回目

益子焼登り窯

益子焼の登り窯

GW、東京から日帰りで楽しめる陶器市の紹介です。

GW期間中、日本各地で陶器市が開催されます。
おなじみ、日本は陶磁器の産地の多さでは世界屈指の国。

ここまで多種多彩の陶磁器が産地として存在する国は本当に珍しいそうです。
大体、各産地、春と秋の年二回陶器市が開催されます。

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そして春はたいていGWの時期が多いようです。

そこで今回紹介するのは栃木の益子焼の陶器市。
今年4/28~5/7の開催となります。
東京からほどほどの距離で、陶器の産地ではかなり有名どころです。

なんと、今年99回目だそうです。
来年は絶対行かないとならない気分になりますが、今年は今年でなんかそそられませんか?

益子焼は「民芸」の歴史とも言われていて、濱田庄司という陶芸家がその名を全国に広めたと伝わっています。
当時、柳宋理の父である柳宗悦、河井寛次郎らと民芸運動を起こしました。
その活動はそれまでの「工芸は鑑賞するための美」という考えを覆し、「用途美」という新しい価値観を生み出しました。

使うものにこそ、真の美しさがある。
まさに「工芸革命」です!

これは本当に工芸の歴史を変えたといっても過言ではなかったそうです。

「京都で道をみつけ、英国で始まり、沖縄で学び、益子で育った」という濱田庄司の残した言葉は有名です。
英国のバーナード・リーチと民芸を極め、益子焼の地位を確実なものにしました。

ではその益子焼、どんな陶器かご存じですか?
きっと誰もが一度は目にしたことがあると思います。

一言でいうと、「土っぽい器」です。

重いし、ごつごつとして、全体的にちょっと地味な色が多いです。

それはこの益子焼に使われる土の粒子が粗く、少し厚めに器にしないと、強度が弱くなってしまうからです。
そのため、肉厚に作られた器は当然、重くなります。
ただ、これが益子焼の最大の魅力とも言えます。

ほかの産地の焼き物にはない、どっしりとして温かみのある器。

釉薬は柿釉と呼ばれる茶色の釉薬が代表的なもので、最近ではかなり鮮やかな色も増えてきました。

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5seconds,50years

これも濱田庄司が残した言葉ですが、彼が編み出した釉薬の流しがけ。
柄杓に釉薬を組み、素焼の器に少しずつたらして、線状に模様をつけていきます。

5秒でできる、安易な手法と馬鹿にされたこともあったそうですが、濱田は
「5秒でできるこの技法は、この先50年続くことになるだろう。」と返したそうです。

その言葉通り、この流しかけは益子焼の代表的な技法となりました。

もちろん、その流しがけだけではありません。

先ほど、「きっと誰もが一度は目にしたことがある」と述べましたが、
「峠の釜めし」のあの釜の器。
あれも「益子焼」です。

益子焼はあまり量産はされていません。

職人・作家がひとつひとつ丁寧に作られたものがほとんどです。
陶器市はその作家・職人が日常こつこつと作り上げてきたものが一斉にお目見えする貴重な機会です。

器は昔ながらの登り窯で焼かれるそうで、(もちろんガス窯など併用の場合が多いですが)
6年前の東日本大震災ではほとんどの登り窯が崩れたそうです。

登り窯を作る職人も今は少なくなり、最近になってやっと修復が完了した窯元もあるようです。

6年前。
3/11に起こったあの震災で、そこの窯元もGWの陶器市のために用意していた商品、数十個のコンテナが一気にくずれ、
商品は無残に壊れてしまったそうです。(一コンテナに約数十個の商品が入っていたと聞きました)

でも、GWに陶器市は開催されました。

私も足を運びましたが、壁や塀がくすれて。屋根にはブルーシートがかぶせられている家が多いなか、お祭りを開催しました。

その底力に私は本当に感動しました。

陶器を愛し、歴史をつないでいるこの土地にこのGW,ぜひ行ってみませんか。
お車の場合、10時くらいにはどこの駐車場も満車になってきますので電車がおすすめです。

真岡鉄道の益子駅から徒歩でそんなに遠くありません。
(余談ですが、真岡鉄道には日に何本かSLが走っています。別料金となりますが、記念にどうですか?)

そしてぜひ、濱田庄司記念益子参考館にも足を運んでみてください。
益子焼の歴史がそこにあります。

ちなみに当時の作法そのままで今も「濱田窯」として器がつくられています。
こちらも要チェックですよ。

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