赤穂義士祭2017 忠臣蔵に興味でてくる?赤穂義士イベント

赤穂義士祭とは歴史に疎い方でも一度は聞いたことがあるかと思います。
忠臣蔵でおなじみの赤穂浪士四十七士を祀る祭りです。

赤穂義士祭は東京品川の泉岳寺だけではなく、赤穂浪士の地元、兵庫県赤穂市でも盛大に行われます。

今も浄瑠璃や歌舞伎で人気の演目となっている忠臣蔵。
仇討のお話がなぜこんなにも人気があるのか、正直私には理解できないのですが、吉良上野介(きらこうずけのすけ)はお芝居で語られるほど悪人ではなく、地元愛に満ちた、慈悲ある大名だったと言われています。その証拠に今も東京・両国の吉良邸跡地では、毎年12月14日供養が行われます。

また、四十七士の主君への忠義は確かにザ・大和魂を感じるものかもしれません。

主の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が切腹をさせられてから、大石内蔵助(おおいしくらのすけ)ら四十七義士が仇討を決行するまで1年を要しています。

この仇討へのモチベーションがよく続いたと思いませんか。

こんなドラマティックな史実が今も人の心を放さないのかもしれませんね。

でもそんな人気の忠臣蔵だから、12月14日、ちょっと振り返ってみませんか。
各地イベントのご紹介です。

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赤穂義士祭の日程と見どころ

ちょっと語弊があるかもしれませんが、一般的に「赤穂義士祭」というと、兵庫県赤穂市で開催される祭りを指します。

関東の方は品川の泉岳寺で行われる祭の方が馴染みがあるかもしれませんね。
しかしながら泉岳寺の方はどちらかというと供養の儀という意味合いのほうが強いです。

兵庫県赤穂市には、浅野家ゆかりの赤穂城跡、門や石垣、本丸などが残っています。

浅野家ゆかりの城でしたが、三代目浅野内匠頭の刃傷事件により途絶えます。
言ってみればここが四十七士ゆかりの地であったとも言えますね。

前置きが長くなりましたが、そんな赤穂城跡で行われる赤穂義士祭の日程は以下の通り。

日程:2017年12月13日(水) 前夜祭  12月14日(木)本祭

会場: 赤穂浪士祭赤穂城跡・赤穂市駅前通り・お城通り周辺

問合せ先:赤穂市観光情報センター 0791-42-2602

赤穂義士祭スケジュール

12月8日(金)~12月14日(木) 忠臣蔵ウィーク
様々なイベントが行われます。子供向けイベントなどもありますので、ぜひ家族連れでいかがでしょうか。
イルミネーションや燈籠によってライトアップし、光と音楽で幻想的な空間を演出「幻燈庭園」が見どころです。

12月13日 前夜祭
17:00~21:00
花岳寺門前の御成道をイルミネーションやろうそくでライトアップ。幻想的な空間に魅了されます。

12月14日 本祭
10:00~21:00

義士伝行列
忠臣蔵名場面の山車
義士行列

は13:00~となります。

このパレードの義士行列には毎年豪華なゲストが。

今年は昨年に引き続き歌舞伎俳優 『中村梅雀』さん。
大石内蔵助役として参加いたします。

義士祭パレード終了地点付近に観覧席が設けられています。
ゆっくりご覧になりたい方は応募はがきを送ってみてはどうでしょうか。
締め切りは10月27日まで。

抽せんのようです。

赤穂城アクセス

電車の場合:JR播州赤穂駅より徒歩3分
車の場合:山陽道赤穂ICから国道250号経由4km10分

JR播州赤穂駅近くの千種川沿いに、無料の臨時駐車場が約2200台分設置予定。

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東京で赤穂事件を振り返る

東京でももちろん、赤穂事件にまつわるイベントはあちらこちらで行われます。

まず、この事件がここまで有名にしたのが、先に述べた通り浄瑠璃や歌舞伎。毎年この時期になるとどこかで「仮名手本忠臣蔵」が上演されます。

そう、一般的に呼ばれている「忠臣蔵」とはこの演目のタイトルからきているのです。

泉岳寺 赤穂義士祭

吉良上野介の首を討ちとった四十七士が最後は切腹させられ、この泉岳寺に眠っています。その供養祭が同じく12月14日に行われています。

【泉岳寺】

住所:東京都港区高輪2-11-1

アクセス:都営地下鉄「泉岳寺」駅A2出口より徒歩1分

問い合わせ:03-3441-5560

吉良邸跡では供養が行われます。かつては広大な敷地でしたが、今ではかなり狭い面積しか残されていません。そこには「みしるし洗い井戸」という、吉良の首を洗ったと伝わる井戸も残されています。12月14日は、その付近では数多くの出店も並びます。
ここでは「赤穂義士祭」とは呼ばず、「吉良祭・義士祭」と呼びます。

【吉良邸跡】

住所:東京都墨田区両国3-13-9

アクセス:JR両国駅から徒歩10分

吉良の首を主君の墓に供えるため、泉岳寺へ向かったため、泉岳寺に向かう道中には、忠臣蔵にまつわる石碑などが複数あります。

また付近を散策しているとさまざまな討ち入り関連情報を記した立て札がたっています。

ぜひ探してみてください。

墨田区では、毎年赤穂義士の討ち入りをたどると称して、吉良邸から泉岳寺へ向かうルートを歩くイベントなどを開催しています。

ちょっと討ち入りの裏話などが聞けて楽しいですよ。

赤穂義士事件うら話

12月14日の未明、討ち入りは決行されました。浅野内匠頭が切腹して2年近くが経とうとしている日です。

年の暮れの未明、当然寒い日だったと思います。

ドラマでは雪がこんこんと降りしきる、静かな明け方近くの雰囲気で描かれていますが、事実はまったく違っていたようです。

雪などは降っていなく、この1年以上赤穂浪士たちによって計画されていた討ち入りはどこからともなく情報が漏れ、「仇討は今夜らしい」と聞いた江戸っ子たちは木や屋根に上るなどして高見の見物状態だったそうです。

その証拠に道中、四十七士に甘酒をふるまったという味噌屋があります。(現在は閉店)未明に甘酒用意しているということは、もう情報がいきわたっていたということですよね。

ではなぜ当人吉良は逃げなかったのでしょうか。

かなり赤穂浪士を侮っていたようです。
もう少し慎重になっていれば命おとさずに済んだのに、、、。

また、四十七士といいますが、実際は一人逃げて四十六だったとか。

さらには義士の半分は手柄をたてれば新しい藩に受け入れてもらえるとおもって再就職目当ての参加だったとか。。。

こういった裏話も聞けたりするので、ぜひ赤穂義士のルートを歩くイベントなどにも参加してみてください。きっと忠臣蔵に興味ない方も楽しめますよ。

ぜひ12月14日、300年以上前の史実に少し心馳せてみてはいかがでしょうか。

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